ワールドカップ

2009年06月13日 00:09

 思い起こすは16年前。

なんとなく起きて観ていた、ロスタイムの失点。
今も鮮明に脳裏に焼き付くボールの軌道は
スローモーションのようにゴールネットを揺らしていった。

─その競技の持つ不条理を知った。

「なぜ飛びつかない!?」
サッカーのサの字も知らなかった当時の自分は
ただボールを見送ってしまったように見えたGKに憤りを覚えた。

数年後、少年マガジンで塀内夏子が描いた作品の中で

「飛びつけるものなら飛びついていましたよ。
ワールドカップという夢が、すぐそこにあったんですから。
夢なんて、消えるのに一秒もかからなかった。」

あのボールを見送ったGK、松永成立はそう語っていた。

94年、初めて目の当たりにしたワールドカップ。
グループリーグで散ったコロンビアの選手が射殺されたニュースを聞いて
競技そのものレベルの差より、カルチャーとしてのそれの違いを痛感させられた。


3年後、フランスW杯アジア最終予選。
当時ホームの試合は全て国立競技場で行われていた。
地元のチケットセンターを徹夜で並び、全ホーム戦のチケットを朦朧としながらもゲットし、
毎試合前日の夜から国立に繰り出し、これまた徹夜で自由席の列に並んだ。
雨に打たれながら屋外で眠る経験は、後にも先にもこの時しか味わっていない。
そんな状況は少しも苦にならない若さと熱が、確かにあった。
それは高校生だった自分だけではなく、当時のスタジアム全体に。

目が覚めたら完璧な快晴で、入場後にスタジアムの外壁の手すりで
Tシャツやら靴下やらを干して乾かした。
その日の国立の手すりには、無数の上着やパンツ、靴下が風に揺れていた。
あのすこし不思議で美しい光景は、生涯忘れる事は無いだろう。

韓国戦で逆転ゴールを許した際に、すぐ近くで観戦していたおっさんが
諦めたようにその場でタバコに火を点けた。
それを見た若者が、観客席での喫煙という行為だけではなく
目の前で起こっている試合のフラストレーションをぶつけるかのように
タバコをくわえたおっさんに殴りかかっていった。
ホームゴール裏は自国のサポーター同士の乱闘会場となった。

UAE戦ではドローに終わった試合に消化不良を起こした多くのサポーターが、
照明を消されるまで客席で怒号を上げていた。
不可解な判定を繰り返したレフェリーに対する怒りもあったろうが
不甲斐無い内容で勝ち切れず、監督更迭というカンフル剤を投じても
遠のいてしまうワールドカップという舞台への渇望が
照明が落ちて暗くなったスタジアムには渦巻いていた。

ジョホールバルのあの夜、岡野が決定機を外すたびに、
そこら中の家から悲鳴が聞こえてきたのを覚えている。
そんな岡野がそれでも最後にゴールネットを揺らした瞬間、
気持ち悪いほど男同士で抱き合ったあの瞬間を、

今はもう味わう事が出来ない。



フランス、日韓、そしてドイツを経て、日本のサッカーは変わった。
チケットの入手は驚くほど容易になり、スタジアムには空席が目立つようになった。
たとえ最終予選であっても、何時間も電話に縋りつき、夜通し列を並ばなければ、
後方の席に追いやられてしまうような試合は存在しない。
だからたとえその試合が凡戦に終ろうとも、感情を露わにして
席に居座るような観客は現れない。ましてや味方同士の乱闘など起こる訳がない。
内容がどうであれ試合が終われば拍手が起こり、
選手が挨拶に来ればカメラ片手に人が蠢き、フラッシュが眩く光る。
そこにある熱は、至って健全なスポーツ観戦の枠をはみ出すものではない。

それは日本のサッカーが、カルチャーとして成熟した証拠とも言える。
ワールドカップの価値は、すぐ目の前にあってもすり抜けてしまう「夢」ではなく、
獲得して当たり前の「現実」になった。
どんなに民放各局が煽りたててみても、今のワールドカップ予選に存在する危機感は
家でビール片手にゆったりとテレビ観戦出来てしまう程度の物だ。
それは日本の実力云々よりも、アジアという地域に与えられた、
恵まれ過ぎている「枠数」の賜物でもあるのだが、
少なくとも予選の2試合を消化試合に出来る程度の「余裕」を
この国のサッカーは有する事が出来ている。
何も客席で発煙筒を投げ合ったり、自殺点をしてしまった選手が
自国民に殺されてしまうような文化を根付かせる必要は無いのだ。


だからこそ、あの頃の「渇望」を味わえない今の日本のサッカーは
一言で言えば、退屈なのかもしれない。

選手もサポーターも、どうにも感情や思い入れを
何処に落とし込めばいいのか分からなくなってしまったような状況にある。
それを感じとっているから、指揮官は「ベスト4」なんて大々的で分かり易い看板を
ぶち上げなければならなくなっている。
協会は無理な日程でコンディションが悪くとも、人気選手を呼び、
そして試合で使わなければならなくなっている。

スタジアムでは「BEST4」という、負ける事を前提とした目標を書いたプラカードを
ファンが笑顔で掲げる。
かと言って「優勝」と書けるような夢見る期待は、ドイツで無残に散った黄金世代を
目の当たりにしていたら、当然口にはできない。


─この閉塞感を打ち破るには、ただただシンプルに、良いサッカーをするしかない。
ただ守備固めをするだけでも、ホームの利を活かすでも、個の自由とやらに博打を打つでもなく
果敢に攻め、ゲームを作り、そして勝つサッカーを、ピッチの上で見せるしかない。

その為には、90分お経のようにバモニッポンを歌い続けるだけではなく、
良いプレーが出たら賛辞と拍手を送り、
試合後には選手の健闘を称えるだけではなく、
時には叱咤し、それでも見放さず、次の試合もスタジアムに足を運び続ける。
そんなサポーターの「熱」が必要なのではなかろうか。
その緊張感が選手の危機感に繋がり、結果、ピッチに立つ訳ではないただの「観客」が
日本のサッカーの背中を押すことになるのではなかろうか。


前時代的と言われても、そう信じている。
もし仕事が休みで、ホームのカタール戦を見に日産に言っていたら
きっと怒りを通り越して悲しくなってしまっただろう。
それでも、まずは大変苦しい状況の中で、見事ワールドカップ出場を決めた
選手・監督・スタッフ、そして現地まで足を運んだサポーターの皆様、
本当におめでとうございます。そして、ありがとうございます。


2010年、僕らは何を思うだろうか。


たの中の人。

今、楽器業界で最も旬なネタ

2009年05月15日 03:02

 いやー、もう売れて売れて。

何がって、↓こんなのとか

P_LPSTDPLUS-HS.jpg


↓こんなのとか

JB62.jpg


↓こんなのが。

25050210240.jpg


あまりにも局地的に、群発的に、有り得ない不自然さで集中して売れるものだから
絶対なにかあるな、と思って調べてみたら、

↓こいつが原因だった。

http://www.tbs.co.jp/anime/k-on/


↓けっこうなニュースにもなっていた。

http://news.livedoor.com/article/detail/4120175/
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/22/news069.html



あっさり原因判明。
ア○バ系の有する物欲の深淵さたるや、うちの部署を潤すに余りあるぜ…恐るべし。

で、こうなってくると、気になるじゃないですか。
見たくなるじゃないですか。否応なしに。

今さっきですよ。明日休みなもんで、ビール片手に初めて見てみたんですよ。
うん、音楽の「お」の字も無い内容だった。

…たまたまなのか?

必死に楽器に没頭する少女のお話なら
継続して見ないこともない、とか考えていた俺がバカでした。

人間のクズの美しい最期

2009年05月15日 03:00

声高に「俺は人間のクズだ」と叫び
「全部デタラメなんだ」と歌いきった
たった一人のおっさんとの別れに
4万人もの人間が訪れ、その最期を偲んだらしい。

「偽りの化粧をして 本当の顔はどこにもない」

そんな言葉で己を表現したおっさんに
パンクロックを携えてこの国を席捲したボーカリストが
「悪い冗談だ」と別れを告げた。

美しい最期だと思う。

弔辞を活字で読んで、涙が出そうになるというのは初めての経験だったな…。


日本語だろうがなんだろうが、サウンドだろうが精神だろうが
ここまでロックンロールを第一線で体現し続けた人を他に知らない。
ダブルミーニングという、よく分からないけどなんかカッコいい言葉の意味を教えてもらった。
どうでもいい事だが最もセンスあるHPトップを持つアーティストでもあった。

直に会った事すら一度も無いのに
ぽっかり心に穴が開いたような気持ちになるのは


気のせいだろう
君がいない事も


…とか一人で弾き語って歌うことで、ご冥福をおいのりしつつ。